Taro-握手 本文ルビ c3-4-1.pdf · 2018. 6. 13. · 握 手 あ く し ゅ 井 上 ひ さ し...
Transcript of Taro-握手 本文ルビ c3-4-1.pdf · 2018. 6. 13. · 握 手 あ く し ゅ 井 上 ひ さ し...
-
握手
あくしゅ
井上ひさし
いのうえ
上野公園に古くからある西
うえ
の
こうえん
ふる
せい
洋
料
理店へ、ルロイ
修
道士
ようりょう
り
てん
しゅうどう
し
は時間どおりにやって来た。
じ
かん
き
桜
の花はもうとうに散って、
さくら
はな
ち
葉
桜
にはまだ
間
があって、
は
ざくら
あいだ
そのうえ動物園はお休みで、店
どうぶつえん
やす
みせ
の中は気の毒になるぐらいす
なか
き
どく
いている。椅子から立って手
い
す
た
て
を振って居
所
を知らせると、
ふ
い
どころ
し
-
ルロイ
修
道士は、
しゅうどう
し
「呼び出したりしてすみませ
よ
だ
んね。」
と達者な日本語で声をかけな
たっしゃ
に
ほん
ご
こえ
がら、こっちへ寄ってきた。
よ
ルロイ
修
道士が日本の土を踏
しゅうどう
し
に
ほん
つち
ふ
んだのは第二次大戦
直
前の
だい
に
じ
たい
せん
ちょく
ぜん
昭
和十五年の春、それからず
しょう
わ
ご
ねん
はる
っと日本暮らしだから、彼の
に
ほん
ぐ
かれ
日本語には年季が入っている。
に
ほん
ご
ねん
き
はい
「今度故
郷
へ帰ることになり
こん
ど
こ
きょう
かえ
ました。カナダの本部
修
道院
ほん
ぶ
しゅうどういん
-
で
畑
いじりでもしてのんびり
はたけ
暮らしましょう。さよならを言
ぐ
い
うために、こうして皆さんに会
みな
あ
って回っているんですよ。し
まわ
ばらくでした。」
-
ルロイ
修
道士は大きな手を
しゅうどう
し
おお
て
差し出してきた。その手を見
さ
だ
て
み
て思わず顔をしかめたのは、
おも
かお
光
ヶ丘天使園の子供たちの
ひかり
が
おか
てん
し
えん
こ
ども
間
でささやかれていた「天使
あいだ
てん
し
の十戒」を
頭
に浮かべたせい
じっかい
あたま
う
である。
中
学三年の秋から高
ちゅうがくさんねん
あき
こう
校を卒
業
するまでの三年半、
こう
そつぎょう
さんねんはん
わたしはルロイ
修
道士が園
しゅう
どう
し
えん
長
を務める児童養護施設の厄
ちょう
つと
じ
どうよう
ご
し
せつ
やっ
介になっていたが、そこには幾
かい
いく
つかの「べからず
集
」があっ
しゅう
-
た。子供の
考
え出したもので
こ
ども
かんが
だ
あるから、べつにたいしたべ
からず
集
ではなく、「朝のう
しゅう
あさ
ちに弁当を使うべからず。(見
べんとう
つか
み
つかると、次の日の弁当がも
じ
ひ
べんとう
らえなくなるから)」、「朝晩の
あさばん
食
事は静かに食うべからず。
しょく
じ
しず
く
(ルロイ先生は、園児がにぎ
せんせい
えん
じ
やかに
食
事をしているのを見
しょく
じ
み
るのが好きだから)」、「洗濯
場
す
せんたくじょう
の手伝いは
断
るべからず。
て
つだ
ことわ
(洗濯
場
主任のマイケル先生
せんたくじょうしゅにん
せんせい
-
は気前がいいから、きっとバ
き
まえ
ター付きパンをくれるぞ)」と
つ
いった式の無邪気な代物で、
しき
む
じゃ
き
しろもの
その中に、「ルロイ先生とうっ
なか
せんせい
かり握手をすべからず。(二、
あくしゅ
に
三日鉛筆が握れなくなっても
みっ
か
えんぴつ
にぎ
知らないよ)」というのがあっ
したのを思い出して、それで少
おも
だ
すこ
しばかり身構えたのだ。この
み
がま
「天使の十戒」が、さらにわ
てん
し
じっかい
たしの記憶の底から、天使園
き
おく
そこ
てん
し
えん
に
収
容されたときの光景を引
しゅうよう
こうけい
ひ
-
っ張り出した。
ぱ
だ
風呂敷包みを抱えて園
長
室
ふ
ろ
しきづつ
かか
えんちょうしつ
に入っていったわたしを、ル
はい
ロイ
修
道士は
机
越しに握手
しゅうどう
し
つくえ
ご
あくしゅ
で迎えて、
むか
「ただいまから、ここがあな
たの家です。もう、なんの心配
いえ
しんぱい
もいりませんよ。」
と言ってくれたが、彼の握
力
い
かれ
あくりょく
は万力よりも強く、しかも腕
まんりき
つよ
うで
を
勢
いよく
上
下させるもの
いきお
じょう
げ
だから、こっちの肘が
机
の上
ひじ
つくえ
うえ
-
に立ててあった聖人伝にぶつ
た
せいじんでん
かって、腕がしびれた。
うで
だが、顔をしかめる必要は
かお
ひつよう
なかった。それは実に穏やか
じつ
おだ
な握手だった。ルロイ
修
道士
あくしゅ
しゅうどう
し
は
病
人の手でも握るようにそ
びょうにん
て
にぎ
っと握手をした。それから、
あくしゅ
このケベック郊外の農
場
の五
こうがい
のうじょう
ご
男坊は、東
京
で会った、かつ
なんぼう
とうきょう
あ
ての
収
容児童たちの近
況
を
しゅうよう
じ
どう
きんきょう
熱心に語り始めた。やがて
注
ねっしん
かた
はじ
ちゅう
文した一品
料
理が運ばれてき
もん
いちぴんりょう
り
はこ
-
た。ルロイ
修
道士の前にはプ
しゅうどう
し
まえ
レーンオムレツが置かれた。
お
「おいしそうですね。」
ルロイ
修
道士はオムレツの
しゅうどう
し
皿をのぞき込むようにしなが
さら
こ
ら、
両
のてのひらを擦り合わ
りょう
す
あ
せる。だが、彼のてのひらは
かれ
もうギチギチとは鳴らない。
な
あの頃はよく鳴ったのに。園
ころ
な
えん
長
でありながら、ルロイ
修
ちょう
しゅう
道士は訪問
客
との会見やデス
どう
し
ほうもんきゃく
かいけん
クワークを避けていた。たい
さ
-
ていは裏の
畑
や鶏舎にいて、
うら
はたけ
けいしゃ
子供たちの
食
料
を作ること
こ
ども
しょくりょう
つく
に精を出していた。そのため
せい
だ
に、彼の手はいつも汚れてお
かれ
て
よご
り、てのひらはかしの板でも
いた
はったように固かった。そこ
かた
で、あの頃のルロイ
修
道士の
ころ
しゅうどう
し
汚
いてのひらは、擦り合わせ
きたな
す
あ
るたびにギチギチと鳴ったも
な
のだった。
「先生の
左
の人さし指は、相変
せんせい
ひだり
ひと
ゆび
あい
か
わらず不思議なかっこうをし
ふ
し
ぎ
-
ていますね。」
フォークを持つ手の人さし
も
て
ひと
指がぴんと伸びている。指の先
ゆび
の
ゆび
さき
の爪は潰れており、鼻くそを丸
つめ
つぶ
はな
まる
めたようなものがこびりつい
ている。正
常
な爪はもう生え
せいじょう
つめ
は
てこないのである。あの頃、
ころ
ルロイ
修
道士の奇
妙
な爪に
しゅうどう
し
き
みょう
つめ
ついて、天使園にはこんなう
てん
し
えん
わさが流れていた。日本にや
なが
に
ほん
って来て二年もしないうちに
き
に
ねん
戦争が始まり、ルロイ
修
道士
せんそう
はじ
しゅうどう
し
-
たちは横浜から
出
帆する最後
よこはま
しゅっぱん
さい
ご
の交換船でカナダに帰ること
こうかんせん
かえ
になった。ところが日本側の
に
ほんがわ
都合で、交換船は
出
帆
中
止
つ
ごう
こうかんせん
しゅっぱんちゅう
し
になってしまったのである。
そして、連れていかれたとこ
つ
ろは丹沢の山の中。戦争が終
たんざわ
やま
なか
せんそう
お
わるまで、ルロイ
修
道士たち
しゅうどう
し
はここで荒れ地を開墾し、み
あ
ち
かいこん
かんと足柄茶を作らされた。
あしがらちゃ
つく
そこまではいいのだが、カト
リック者は日曜日の労働を戒
しゃ
にちよう
び
ろうどう
かい
-
律で禁じられているので、ル
りつ
きん
ロイ
修
道士が代
表
となって
しゅうどう
し
だいひょう
監督官に、「日曜日は休ませて
かんとくかん
にちよう
び
やす
ほしい。その埋め合わせは、他
う
あ
た
の曜日にきっとする。」と申し
よう
び
もう
入れた。すると監督官は、「大
い
かんとくかん
だい
日本帝国の七曜
表
は月月火水
にっぽんていこく
しちようひょう
げつげつ
か
すい
木金金。この国には土曜も日曜
もくきんきん
くに
ど
よう
にちよう
もありゃせんのだ。」と叱りつ
しか
け、見せしめに、ルロイ
修
道士
み
しゅうどう
し
の
左
の人さし指を木づちで思
ひだり
ひと
ゆび
き
おも
い切りたたき潰したのだ。だ
き
つぶ
-
から気をつけろ。ルロイ先生
き
せんせい
はいい人にはちがいないが、
ひと
心
の底では日本人を憎んでい
こころ
そこ
に
ほんじん
にく
る。いつかは爆発するぞ。…
ばくはつ
…しかし、ルロイ先生はいつ
せんせい
までたっても優しかった。そ
やさ
ればかりかルロイ先生は、戦
せんせい
せん
勝
国の白人であるにもかかわ
しょうこく
はくじん
らず敗戦国の子供のために、泥
はいせんこく
こ
ども
どろ
だらけになって野菜を作り
や
さい
つく
鶏
を育てている。これはど
にわとり
そだ
ういうことだろう。
-
「ここの子供をちゃんと育て
こ
ども
そだ
てから、アメリカのサーカス
に売るんだ。だから、こんな
う
に親切なんだぞ。あとでどっ
しんせつ
と元をとる気なんだ。」という
もと
き
うわさも立ったが、すぐ立ち消
た
た
き
えになった。おひたしや汁の実
しる
じつ
になった野菜がわたしたちの
や
さい
口に入るところを、あんなに
くち
はい
うれしそうに眺めているルロ
なが
イ先生を、ほんの少しでも
疑
せんせい
すこ
うたが
っては罰が当たる。みんなが
ばつ
あ
-
そう思い始めたからである。
おも
はじ
「日本人は先生に対して、ず
に
ほんじん
せんせい
たい
いぶんひどいことをしました
ね。交換船の
中
止にしても国
こうかんせん
ちゅう
し
こく
際法無視ですし、木づちで指
さいほう
む
し
き
ゆび
をたたき潰すに至っては、も
つぶ
いた
うなんて言っていいか。申し訳
い
もう
わけ
ありません。」
ルロイ
修
道士はナイフを皿
しゅうどう
し
さら
の上に置いてから、右の人さ
うえ
お
みぎ
ひと
し指をぴんと立てた。指の先
ゆび
た
ゆび
さき
は天
井
を指してぶるぶる細か
てんじょう
さ
こま
-
く震えている。また思い出し
ふる
おも
だ
た。ルロイ
修
道士は、「こら。」
しゅうどう
し
とか、「よく聞きなさい。」と
き
か言う代わりに、右の人さし指
い
か
みぎ
ひと
ゆび
をぴんと立てるのが癖だった。
た
くせ
「総理大臣のようなことを言
そう
り
だいじん
い
ってはいけませんよ。だいた
い、日本人を代
表
してものを
に
ほんじん
だいひょう
言ったりするのは傲慢です。
い
ごうまん
それに、日本人とかカナダ人
に
ほんじん
じん
とかアメリカ人といったよう
じん
なものがあると信じてはなり
しん
-
ません。一人一人の人間がい
ひと
り
ひと
り
にんげん
る、それだけのことですから。」
「わかりました。」
わたしは右の親指をぴんと
みぎ
おやゆび
立てた。これもルロイ
修
道士
た
しゅうどう
し
の癖で、彼は、「わかった。」「よ
くせ
かれ
し。」「最高だ。」と言う代わり
さいこう
い
か
に、右の親指をぴんと立てる。
みぎ
おやゆび
た
そのことも思い出したのだ。
おも
だ
「おいしいですね、このオム
レツは。」
ルロイ
修
道士も右の親指を
しゅうどう
し
みぎ
おやゆび
-
立てた。わたしは、はてなと
心
た
こころ
の中で首をかしげた。おいし
なか
くび
いと言うわりには、ルロイ
修
い
しゅう
道士に
食
欲がない。ラグビー
どう
し
しょくよく
のボールを押し潰したような
お
つぶ
かっこうのプレーンオムレツ
は、空気を入れればそのまま
くう
き
い
グラウンドに持ち出せそうで
も
だ
ある。ルロイ
修
道士はナイフ
しゅうどう
し
とフォークを動かしているだ
うご
けで、オムレツをちっとも口くち
へ運んではいないのだ。
はこ
-
「それよりも、わたしはあな
たをぶったりはしませんでし
たか。あなたにひどい仕打ち
し
う
をしませんでしたか、もし、
していたなら、
謝
りたい。」
あやま
「一度だけ、ぶたれました。」
いち
ど
-
ルロイ
修
道士の、両
手の人
しゅうどう
し
りょう
て
ひと
さし指をせわしく交差させ、打
ゆび
こう
さ
う
ちつけている
姿
が脳裏に浮か
すがた
のう
り
う
ぶ。これは危険信号だった。
き
けんしんごう
この指の動きでルロイ
修
道士
ゆび
うご
しゅうどう
し
は、「おまえは悪い子だ。」と
わる
こ
どなっているのだ。そして次じ
には、きっと平手打ちが飛ぶ。
ひら
て
う
と
ルロイ
修
道士の平手打ちは痛
しゅうどう
し
ひら
て
う
いた
かった。
「やはりぶちましたか。」
ルロイ
修
道士は悲しそうな
しゅうどう
し
かな
-
表
情
になって、ナプキンを折
ひょうじょう
お
り畳む。
食
事はもうおしまい
たた
しょく
じ
なのだろうか。
「でも、わたしたちは、ぶた
れてあたりまえの、ひどいこ
とをしでかしたんです。高校
こうこう
二年のクリスマスだったと思
に
ねん
おも
いますが、無断で天使園を抜
む
だん
てん
し
えん
ぬ
け出して東
京
へ行ってしまっ
だ
とうきょう
い
たのです。」
翌朝、上野へ着いた。有楽
町
よくあさ
うえ
の
つ
ゆうらくちょう
や浅草で映画と実演を見て回
あさくさ
えい
が
じつえん
み
まわ
-
り、夜行列車で仙台に帰った。
や
こうれっしゃ
せんだい
かえ
そして待っていたのがルロイ
ま
修
道士の平手打ちだった。「あ
しゅうどう
し
ひら
て
う
さっての朝、
必
ず戻ります。
あさ
かなら
もど
心配しないでください。捜さ
しんぱい
さが
ないでください。」という書き
か
置きを、園
長
室の壁に貼りつ
お
えんちょうしつ
かべ
は
けておいたのだが。
「ルロイ先生は一月
間
、わた
せんせい
いちがつあいだ
したちに口をきいてくれませ
くち
んでした。平手打ちよりこっ
ひら
て
う
ちのほうがこたえましたよ。」
-
「そんなこともありましたね
え。あのときの東
京
見物の費
とうきょうけんぶつ
ひ
用は、どうやってひねり出し
よう
だ
たんです。」
「それはあのとき白
状
しまし
はくじょう
たが……。」
「わたしは忘れてしまいまし
わす
た。もう一度教えてくれませ
いち
ど
おし
んか。」
「
準
備に三か月はかかりまし
じゅん
び
さん
げつ
た。先生からいただいた
純
毛
せんせい
じゅんもう
の靴下だの、つなぎの下着だ
くつした
した
ぎ
-
のを着ないでとっておき、駅前
き
えきまえ
の闇市で売り払いました。鶏舎
やみいち
う
はら
けいしゃ
から
鶏
を五、六羽持ち出し
にわとり
ご
ろく
わ
も
だ
て、焼き鳥屋に売ったりもし
や
とり
や
う
ました。」
ルロイ
修
道士は
改
めて
両
しゅうどう
し
あらた
りょう
手の人さし指を交差させ、せ
て
ひと
ゆび
こう
さ
わしく打ちつける。ただしあ
う
の頃と違って、顔は笑ってい
ころ
ちが
かお
わら
た。
「先生はどこかお悪いんです
せんせい
わる
か。ちっとも召しあがりませ
め
-
んね。」
「少し疲れたのでしょう。こ
すこ
つか
れから仙台の
修
道院でゆっく
せんだい
しゅうどういん
り休みます。カナダへたつ頃
やす
ころ
は、前のような大食らいに戻
まえ
おお
ぐ
もど
っていますよ。」
「だったらいいのですが……。」
「仕事はうまくいっています
し
ごと
か。」
「まあまあといったところで
す。」
「よろしい。」
-
ルロイ
修
道士は右の親指を
しゅうどう
し
みぎ
おやゆび
立てた。
た「仕事がうまくいかないとき
し
ごと
は、この言葉を思い出してく
こと
ば
おも
だ
ださい。『困難は分割せよ。』
こんなん
ぶんかつ
あせってはなりません。問題
もんだい
を細かく割って、一つ一つ地道
こま
わ
ひと
ひと
じ
みち
に片づけていくのです。ルロ
かた
イのこの言葉を忘れないでく
こと
ば
わす
ださい。」
冗
談じゃないぞ、と思った。
じょうだん
おも
これでは、遺言を聞くために会
ゆいごん
き
あ
-
ったようなものではないか。
そういえば、さっきの握手も
あくしゅ
なんだか変だった。「それは実
へん
じつ
に穏やかな握手だった。ルロ
おだ
あくしゅ
イ
修
道士は
病
人の手でも握
しゅうどう
し
びょうにん
て
にぎ
るようにそっと握手をした。」
あくしゅ
というように感じたが、実は
かん
じつ
ルロイ
修
道士が
病
人なので
しゅうどう
し
びょうにん
はないか。元園
長
は何かの
病
もとえんちょう
なに
やまい
にかかり、この世のいとまご
よ
いに、こうやって、かつての
園児を訪ねて歩いているので
えん
じ
たず
ある
-
はないか。
「日本でお暮らしになってい
に
ほん
く
て、楽しかったことがあった
たの
とすれば、それはどんなこと
でしたか。」
先生は重い
病
気にかかって
せんせい
おも
びょう
き
いるのでしょう、そして、こ
れはお別れの儀式なのですね
わか
ぎ
しき
ときこうとしたが、さすがに
それははばかられ、結
局
は、
けっきょく
平凡な質問をしてしまった。
へいぼん
しつもん
「それはもう、こうやってい
-
るときに決まっています。天
き
てん
使園で育った子供が世の中へ
し
えん
そだ
こ
ども
よ
なか
出て、一人前の
働
きをしてい
で
いちにんまえ
はたら
るのを見るときがいっとう楽
み
たの
しい。何よりもうれしい。そ
なに
うそう、あなたは上川君を知
かみかわくん
し
っていますね。上川一雄君で
かみかわかず
お
くん
すよ。」
もちろん知っている。ある春
し
はる
の朝、天使園の正門の前に捨
あさ
てん
し
えん
せいもん
まえ
す
てられていた子だ。捨て子は春
こ
す
ご
はる
になるとぐんと増える。陽気
ふ
よう
き
-
がいいから、発見されるまで長
はっけん
なが
くかかっても風邪を引くこと
か
ぜ
ひ
はあるまいという、母親たち
ははおや
の最後の愛
情
が春を選ばせる
さい
ご
あいじょう
はる
えら
のだ。捨て子はたいてい姓名
す
ご
せいめい
がわからない。そこで、
中
学
ちゅうがく
生、高校生が知恵を絞って姓名
せい
こうこうせい
ち
え
しぼ
せいめい
をつける。だから、忘れるわ
わす
けはないのである。
「あの子は今、市営バスの運
こ
いま
し
えい
うん
転手をしています。それも、
てんしゅ
天使園の前を通っている路線
てん
し
えん
まえ
とお
ろ
せん
-
の運転手なのです。そこで、月
うんてんしゅ
つき
に一度か二度、駅から上川君
いち
ど
に
ど
えき
かみかわくん
の運転するバスに乗り合わせ
うんてん
の
あ
ることがあるのですが、その
ときは楽しいですよ。まずわ
たの
たしが乗りますと、こんな合図
の
あい
ず
をするんです。」
ルロイ
修
道士は右の親指を
しゅうどう
し
みぎ
おやゆび
ぴんと立てた。
た
「わたしの癖をからかってい
くせ
るんですね。そうして、わた
しに運転の腕前を見てもらい
うんてん
うでまえ
み
-
たいのでしょうか、バスをぶ
んぶん飛ばします。最後に、
と
さい
ご
バスを天使園の正門前に止め
てん
し
えん
せいもんまえ
と
ます。停
留
所じゃないのに止
ていりゅうじょ
と
めてしまうんです。上川君は
かみかわくん
いけない運転手です。けれど
うんてんしゅ
も、そういうときがわたしに
はいっとう楽しいのですね。」
たの
「いっとう悲しいときは…
かな
…?」
「天使園で育った子が世の中
てん
し
えん
そだ
こ
よ
なか
に出て結婚しますね。子供が生
で
けっこん
こ
ども
う
-
まれます。ところがそのうち
に、夫婦の
間
がうまくいかな
ふう
ふ
あいだ
くなる。別居します。離婚し
べっきょ
り
こん
ます。やがて子供が重荷にな
こ
ども
おも
に
る。そこで、天使園で育った子
てん
し
えん
そだ
こ
が、自分の子を、またもや天
じ
ぶん
こ
てん
使園へ預けるために長い坂を
し
えん
あず
なが
さか
とぼとぼ上ってやって来る。
のぼ
く
それを見るときがいっとう悲
み
かな
しいですね。なにも、父子二代
ふ
し
に
だい
で天使園に入ることはないん
てん
し
えん
はい
です。」
-
ルロイ
修
道士は壁の時計を
しゅうどう
し
かべ
と
けい
見上げて、
み
あ
「汽車が待っています。」
き
しゃ
ま
と言い、右の人さし指に中指
い
みぎ
ひと
ゆび
なかゆび
をからめて掲げた。これは
かか
「幸運を祈る」「しっかりおや
こううん
いの
り」という意味の、ルロイ
修
い
み
しゅう
道士の指言葉だった。
どう
し
ゆびこと
ば
-
上野駅の
中
央改札口の前
うえ
の
えき
ちゅう
おう
かい
さつ
ぐち
まえ
で、思い切ってきいた。
おも
き
「ルロイ先生、死ぬのは怖く
せんせい
し
こわ
ありませんか。わたしは怖く
こわ
てしかたがありませんが。」
-
かつて、わたしたちがいた
ずらを見つかったときにした
み
ように、ルロイ
修
道士は少し
しゅうどう
し
すこ
赤くなって
頭
をかいた。
あか
あたま
「天国へ行くのですから、そ
てんごく
い
う怖くはありませんよ。」
こわ
「天国か。本当に天国があり
てんごく
ほんとう
てんごく
ますか。」
「あると信じるほうが楽しい
しん
たの
でしょうが。死ねば、何もな
し
なに
いただむやみに寂しいところ
さび
へ行くと思うよりも、にぎや
い
おも
-
かな天国へ行くと思うほうが
てんごく
い
おも
よほど楽しい。そのために、
たの
この何十年
間
、神様を信じて
なに
ねんあいだ
かみさま
しん
きたのです。」
わかりましたと答える代わ
こた
か
りに、わたしは右の親指を立
みぎ
おやゆび
た
て、それからルロイ
修
道士の
しゅうどう
し
手をとって、しっかりと握っ
て
にぎ
た。それでも足りずに、腕を
た
うで
上
下に激しく振った。
じょう
げ
はげ
ふ
「痛いですよ。」
いたル
ロイ
修
道士は顔をしかめ
しゅうどう
し
かお
-
てみせた。
上野公園の葉
桜
が終わる
うえ
の
こう
えん
は
ざくら
お
頃、ルロイ
修
道士は仙台の
ころ
しゅう
どう
し
せん
だい
修
道院でなくなった。まもな
しゅうどういん
く一
周
忌である。わたしたち
いちしゅう
き
に会って回っていた頃のルロ
あ
まわ
ころ
イ
修
道士は、身体
中
が悪い
しゅうどう
し
から
だ
じゅう
わる
腫瘍の巣になっていたそうだ。
しゅよう
す
葬式でそのことを聞いたとき、
そうしき
き
わたしは知らぬ
間
に、
両
手
し
あいだ
りょう
て
の人さし指を交差させ、せわ
ひと
ゆび
こう
さ
しく打ちつけていた。
う